みなさんこんにちは。東京では梅が開花したと友人から知らせをもらいました。春がもうすぐそこまで来ていますね。さて、2月も残りわずかとなりましたが、毎月恒例の頻出するエラーについての投稿です。先月は「自然な翻訳、不自然な翻訳の見分け方」という投稿をしましたので、読み逃した方はこちらからどうぞ。
今回は12月と1月のGoCheckでよく見られたエラーを紹介します。いつも通り誤訳が最も多かったですが、引き続き脱落も非常に多い印象でした。単語一語が訳されていないのではなく、コンマ以下すべて抜けている、さらには一文、一段落がそのまま抜けてしまっているものがかなり多かったです。見直しの際は、訳抜けがないかしっかり確認しましょう。逆に、原文にない単語や表現を付け足してしまっている付加のエラーもいつもより多く見られました。また、表記や文体の揺れ・不統一も今回は目立っていました。基本的には文書内で訳語や文体を統一することになっています。いわゆる「だ・である」調で書かれた文書の途中で「です・ます」調に切り替えることはありませんし、逆もまた然りです。文書内に繰り返し出てくる単語には、一貫して同じ訳語を使用します。基本的なことですが、特に長い文書となると忘れがちですので心に留めておいてください。
それでは、実例を見ていきましょう。今月は助動詞の脱落、語句の構造、代名詞の取り違いを取り上げます。なお、訳例はあくまでも一例ですので、より良い訳や別の解釈があればぜひコメント欄で教えてください。
助動詞の脱落
原文: The news about this new drug should worry the patients, as well as their families.
訳文:この新薬に関するニュースは、患者だけでなく、患者の家族も懸念している。
訳例:この新薬に関するニュースは、患者だけでなく、患者の家族も懸念するだろう。
解説:訳文には助動詞shouldの意味が出ていませんね。訳例では推量の「〜だろう」として訳出されています。助動詞が訳されているのといないのでは、意味が大きく違いますので、忘れずに訳すようにしてください。例にあげたshould以外には、mightやcanの脱落が見られました。
語句の構造
原文:On March 3, experts from all over the world gathered here in LA to discuss the important energy issues we are facing today.
訳文:3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論された。
訳例:3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論した。
解説:これは主語に対する述語(動詞)の形がふさわしくない例です。訳文の主語は「専門家」、述語は「議論された」ですが、専門家が…に集まり(能動態)〜について議論された(受動態)、は不自然ですね。「議論された」が「議論した」の尊敬語という解釈もできますが、その場合、「集まり」を「お集まりになり」などとしないと不自然です。なお、主語が「重要なエネルギー問題」の場合は、それを受ける動詞は「議論された」ですね。
代名詞の取り違い
原文:While insiders admitted that those three companies are seeking ways to advance this new technology — which can change the way we grow food — they think this technology might be harmful on the environment.
訳文:関係者は、この3社が我々の食料生産方法を変える可能性があるこの新技術を進歩させる方法を模索していると認めている。一方で、この3社はこの技術が環境に有害であるかもしれないと考えている。
訳例:関係者は、この3社が我々の食料生産方法を変える可能性があるこの新技術を進歩させる方法を模索していると認める一方で、この技術が環境に有害であるかもしれないと考えている。
解説:この文は、挿入部(which can change the way we grow food)を取り除くと構文がわかりやすくなるかもしれません。
While insiders admitted that those three companies are seeking ways to advance this new technology, they think this technology might be harmful on the environment.
こうすると、they = insidersというのが読み取りやすくなるでしょうか。構文が複雑な場合や一文が長い時には、意味の切れ目にスラッシュを入れたり、この例のように挿入部を別にしたりして読むのがおすすめです。代名詞がどの名詞に該当するのか、正しく理解するのにも役立つかと思います。
さて、今月の例は以上です。この投稿の感想や、今後の投稿への要望などがあれば、ぜひコメント欄でお聞かせください。最後にいくつかお願いを。固有名詞は一度必ずインターネットで正しい表記を確認してください。依頼者からの指示やグロッサリーには忘れずに目を通すようお願いします。文体、フォント、翻訳対象外の単語など、細かく指定する依頼者もいます。そして、Gengoスタイルガイドで基本的なルールを定期的に確認しましょう。これで、スペルミスやコンプライアンスエラーを大幅に減らせるはずです。今年度最後の1か月、ぜひ一緒にこれまで以上に完成度・満足度ともに高い翻訳を目指しましょう。それでは、次回は桜の開花の知らせが届く頃にお会いしましょう。
11 comments
なかなか興味深い議論ですね。
例えば、「今日の委員会ではxxxについて議論された」という日本語は普通に使われている気がします。この文章がOKなら、日本語では必ずしも主語は必要ではないということになります。あるいは、minajapanさんが撤回された説ですが、本来は「議論がされた」が文法的には正しいが、「が」を省略した誤用が定着した可能性もあります。しかし、「この論文ではxxxについて論じられている」という文章は「が」を入れようがないので、やはり主語は不要なのではと思われます。もちろん論じている主体は存在するのですが、その情報が不要な場合もあるし、その場合は主語を省略した形が日本語として許容されていることは必然な気がします。
もし主語が不要なのであれば、次のいずれの文章も問題ないはずです。
- 3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論された。
- 毎回100名近くの市民が集まり、まちの未来について議論された。
どちらも、主語と述語が明示された前半部分と、主語を省略した後半部分が読点でつながっています。もちろん、前半部分の主語を情報として強調したいのであれば、後半部分は「議論した」の方がよいでしょう。しかし、前半で「集まったという事実」や「1つの場が形成されたこと」を説明し、「場をイメージ」させた上で、後半で「そこで何が行われたか」を説明するという趣旨なら原文のままでも良さそうです。
これが文法的に誤りであるというのであれば、私もその根拠を知りたいなと思います。形式の違う2つの文を読点でつなぐことはできない、というルールがあるのでしょうか?後半部分の冒頭に「そこで」や「そこでは」を付ければ問題ないのかもしれませんが、すでに場をイメージできているので蛇足のような気もしますし、「ここLA」との関係でも不自然です。
日本語って難しいですね・・・。
訳文:3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論された。
この訳文も自然な日本語であって、文法的にも問題がないように思われるのですが、いかがでしょうか。
ネットで見つけた実例を挙げます。
「毎回100名近くの市民が集まり、まちの未来について議論された。」
https://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/2022/220426shoutengai02.pdf
助動詞「れる/られる」には、受身・可能・尊敬の他に「自発」という意味があります。
同じような問題意識を持った人々が集まり、自然とさまざまな議論が立ち上がり行われると理解し、「議論される」の「れる」も自発表現の「れる/られる」とみなすことは間違っているのでしょうか?
自発表現としては「〇〇が偲ばれる」のような用例がネットに挙げられていますが、こちらの論文(https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/44645/20180802150251579942/k7424_3.pdf)の「自発」の説明によれば、思考動詞の「議論する」の自発表現とみることもできそうだと思いました。
あるいは、「について議論された」を「について議論『が』された」の『が』が脱落していると考えるのも可能かも、と思いました。実例も見つかります("について議論がされた":https://bit.ly/3KUyhyV)。
いずれにしても、「について議論された」で検索をかけると、訳文に類した構造の自然な日本語の実例が数多く見つかります。確かに、この訳文では「専門家がここLAに集まり」と主語の「専門家が」が強調されているので、「議論した」の方がふさわしいかもしれません。しかし、今回の訳文が100%間違いであるとは言えないと思います。
minajapanさん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、「れる・られる」には自発の意味もありますね。ただ、論文の自発の章に書かれている自発表現の定義(「自発とは、そうしようと思わなくても自然にそうなるという言い方のことである」や「主体の意志に関係なく、ひとりでにある動作をとるに至っていることを表す表現」)にもある通り、自発表現として「議論された」と訳すには、計画なしに自然に議論が始まった状態である必要があります。世界中から専門家がLAに集まり、気づいたら議論が始まっていたという可能性が絶対にないとは言い切れませんが、今回の例では議論をするために専門家が一堂に介したと理解するのが自然だと思います。したがって、議論は自然発生したわけではなく、事前の計画に基づいて行われたため、自発表現とするのは不適切だと思うのですが、いかがでしょうか。
「案件のレビュー – GoCheckにおけるエラーの種類」の不適切な例文についても、ご指摘ありがとうございます。検討事項として連絡しておきますね。
※追記
問題の例文ですが、「本を読むはあまり好きじゃない」となっており、エラーの例として問題ないと思います。
お気づきの点があれば、ぜひまたお知らせください。引き続きよろしくお願いします。
Shioriさんが「思考動詞」という点を考慮されていないことや、「議論する」ことについて、そもそもShioriさんがどのように定義(?)されているのかについても質問してみたいのですが、論点がずれてしまうので深掘りしません。
一番伝えたかったことが伝わっておらず、反省しています。改めて登録翻訳者のひとりとして、Lannguage SpecialistのShioriさんにお尋ねします。
実例として挙げた「毎回100名近くの市民が集まり、まちの未来について議論された」が、仮に翻訳文として提出された場合、どのように判断されるのでしょうか?
Shioriさんの説明を敷衍させると、主語が「100名近くの市民が」だから述語は「議論した」とすべきであって、「議論された」は「主語と述語の不一致」が理由で減点対象となります。Gengoでは、そのように判断されるのでしょうか?
A:毎回100名近くの市民が集まり、まちの未来について議論した。
B:毎回100名近くの市民が集まり、まちの未来について議論された。
AもBも日本語として自然で、文法上の誤りは含まれていないと思います。
もう一度、訳文と訳例を比較します。
訳文:3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論された。
訳例:3月3日、世界中の専門家がここLAに集まり、今日私たちが直面している重要なエネルギー問題について議論した。
この訳文についても、一読して重点が「重要なエネルギー問題について議論された」に置かれていると感じますが、減点対象となる中程度の「明白なエラー」が含まれているとは思えません。
>「議論された」が「議論した」の尊敬語という解釈もできますが、その場合、「集まり」を「お集まりになり」などとしないと不自然です。
主語が同じ複数の動詞が一文の中に含まれる場合、最後の1つだけを尊敬語とするのが一般的ではないでしょうか。読みやすさのためにも、特別な理由がある場合をのぞいて過剰な敬語は避けるべきだと思います。以下、一例としてニュース記事より引用します。
「喜ぶ」は尊敬語ではなく、最後の「たたえる」のみが尊敬語となっています。このような文章は皇室関係の記事でよく見られます。上のお二方がご指摘の点に加え、こちらについてもご確認いただきたいです。
今回、先の投稿を行うきっかけとなったレビューのことを紹介させてください。
私の場合、前回の月イチのレビューで次のような構造の訳文が問題となりました。
「ハート外務大臣はダイヤ国を訪れ、スペード首相と会談し、クローバーに関する緊急対策を求めたが、有効な対策は提示されなかった」(文の構造はそのまま、内容は変更しました)
逆接の接続助詞「が」をはさんで、前半の主語は「ハート外務大臣(は)」で、後半の主語は「有効な対策(は)」です。
しかし、レビュアーによる再レビューの説明で、「提示されなかった」は文の構造上間違いという指摘を受けました。主語が「ハート外務大臣(は)」だから述語は「提示しなかった」が正しいという説明でした。ちなみに「エラーの深刻度」はMediumでした。
もちろん、納得できなかったので別のレビュアーによる再々レビューを依頼しました。再々レビューでは、逆接の接続助詞の前後で主語が変わるのはよくあることで、今回、後半の主語は「有効な対策(は)」であって「ハート外務大臣(は)」ではないという私の説明が認められて、判定が覆り、訳文通りで問題なしとなりました。
そこで気になったのが、私が最初の月イチのレビューを受けた日と最終の再々レビューを受けた日です。
私が最初のレビューを受け取った日:2月15日
再レビューのリクエストに対する最初のレビュアーからの返答:2月22日
(「頻出するエラーについて(12月&1月まとめ)」の投稿日:2月23日)
再々レビューのリクエストに対する別のレビュアーからの返答:2月28日
つまり、私を担当した最初のレビュアーが2月23日投稿の「頻出するエラー」の内容に沿ったレビューを行っていないのです。
月イチのレビューを2月22日以前に受けていた場合、私と同じ構造の訳文で、同じように「文の構造上の間違い」によるマイナス評価を受けているトランスレーターがいるかもしれない、と心配になりました。
思い当たる方は、レビューの見直しをお勧めします。
今回投稿するにあたり、「案件のレビュー – GoCheckにおけるエラーの種類」のページを改めて見ていて気がついたのですが、「主語と述語の不一致の例」として挙げられている例文は不適切です。
「本を読むのはあまり好きじゃない」という例文は、日本語として自然です。
この「は」は副助詞(取り立て助詞、取り立て詞)だと思います
(http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/contents/explanation/095.html)
別の例文に差し替えた方がいいと思います。
長文と連続投稿、失礼しました。
>あるいは、「について議論された」を「について議論『が』された」の『が』が脱落していると考えるのも可能かも、と思いました。実例も見つかります("について議論がされた":https://bit.ly/3KUyhyV)。
この部分は撤回します。きちんと調べもせず、思いつきをそのまま書いてしまいました。申し訳ありません。
>問題の例文ですが、「本を読むはあまり好きじゃない」となっており、エラーの例として問題ないと思います。
こちらで勝手に「本を読む『の』はあまり好きじゃない」と『の』を足して読んでいたようですね。申し訳ありません。
しかし、そうなると「語句の構造」の「主語と述語の不一致の例」としてふさわしくないような気がしてきます。「本を読むは」が不自然なので、『の』の「脱落」の例文としてなら分かりますが。
minajapanさん、iitoさん
コメントありがとうございます。
minajapanさん
「議論する」は、思考動詞ではなく、動作動詞だと理解しています。したがって、「議論された」は自発表現ではなく受動態として使われていると判断しました。
iitoさん
ご指摘の、主語を省略しても問題ないという点や、形式の違う2文を繋げても間違いではないという点についてですが、おっしゃる通りです。
ただ、今回の訳文は前半部分も後半部分も動作の主体は「世界中の専門家たち」であり、さらに原文も「experts from all over the world」を主語として書かれているので、訳文の構文を複雑にして後半部分の主語を「エネルギー問題」とする必要はないと思います。また、「世界中の専門家たち」と「議論された」の距離が非常に近いことからも、この訳文は形式の違う2文をつなげたものではなく1文で、主語は「世界中の専門家たち」だと見なすのが妥当であり、主語と述語が対応していないという判断になります。
これからもぜひご意見やご感想をお聞かせください。よろしくお願いします。
>また、「世界中の専門家たち」と「議論された」の距離が非常に近いことからも、この訳文は形式の違う2文をつなげたものではなく1文で、主語は「世界中の専門家たち」だと見なすのが妥当であり、主語と述語が対応していないという判断になります。
距離を理由に主語を決定するのなら、後半部は「議論された」により近い「エネルギー問題」を主語とした受動文とみなすべきではないでしょうか。
スタイルガイドに「柔軟性」という項目があり、以下のような説明があります。
以上を考慮すると、前半部を「専門家」が主語の能動文、そして後半部を「エネルギー問題」が主語の受動文として柔軟に翻訳したこちらの元の翻訳も問題がないように思えます。
Shioriさんと上のお二方のご意見をぜひとも伺いたいです。